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大谷田就労支援センターの支援の考え方や普段の様子を載せていきます!

名もなき支援者連絡ノート 日記

2013年11月14日 区別

最近、私自身、現場の中で業務を行うことが少なくなってきているのですが、現場から離れてみると、意外にも多くのことがより客観的に見えてきました。現場の様子を把握していく中で、数年前にある方が話していた言葉を思い出させられることが多くなりました。「職員と利用者とで区別しないでほしい。」という言葉です。

先日、フランスの「最強のふたり」という映画を紹介されて観てみました。久々におもしろい映画でした。障がいのある大富豪と若い青年の親交をテーマにした実話に基づいた内容になります。その中のワンシーンで、事故で首から下がマヒになった大富豪が、介護人を募集して面接を行う場面があります。色々な専門家が面接をする際の自己PRでは、それぞれ、「障がい者の力になりたい」とか、「○○と△△の資格を持っている」とか、「人が好きだから」というような発言をしています。この場面を観ていて、最近自分の周りでも似たような言葉を聞くことが多くなったと感じました。面接の結果、介護人の採用には、「障がいに同情をしなかった」スラム街に住む若い青年が選ばれます。

物語の中では、採用の理由についての描写などはありませんが、おそらく大富豪は自分で何もできない状態を哀れんで、専門家の都合ばかり押しつけられたり、自分のやりたいことや楽しみたいことができないのは嫌だと思ったのだと思います。障がいなど関係なく普通の人として接する若い青年との関係を大富豪は望んだのだと思います。実際に若い青年が採用されてから、ふたりは固い友情まで結ぶようになります。

映画の中で、面接を受けていた介護人たちも、障がい者と介護人とを「区別」してしまっています。確かに専門職として知識や技術は必要ですが、そもそも相手が対等な関係を望んでいることを置き去りにして、資格がありますとか力になりたいとかいう押しつけはありませんよね。実際に我々の現場の中でも、親切の押しつけや支援者の都合の押しつけのような場面を見受ることがあります。支援者がご本人の代わりに仕事をしてしまったり、相手が理解できない専門用語で話し続けていたり、相手の立場や都合を考えず支援者の支援観や介護観を一方的に押しつけていたり。

また、あるシーンでは、ふたりが車いす用の自動車に乗って移動しようとする場面があるのですが、若者は車いす用の自動車はかっこわるいから、隣に止めてあったスポーツカーがいいといって、全身マヒの大富豪を抱えて助手席に乗せます。車いす用の自動車は我々も業務で日常的に使っています。車いすの方の移動には便利です。でも介助者が便利なだけですよね。車いすを使っている人だってスポーツカーに乗ってみたいですよね。

地域の人とお祭り勝手かもしれませんが、そもそも私自身は「職員」とか「利用者」とかで互いの関係を括るのがずっと嫌いです。もちろん支援を仕事として行っているので、そのように考えなければならない時と場合はあります。個人的には同じ職場で働く仲間としかみられません。立場の違いや役割の違い、責任の違いはありますが、同じ目的に向かって取り組んでいく仲間です。我々大谷田就労支援センターを社会の一員として認めてもらえるよう、社会に貢献していくために一緒に仕事をする仲間です。新しい仕事を取ってきた時は皆で一緒に喜びたいですし、間違ったことについてははっきりと間違っていると言い合いたいです。そして共に成長をして、成し遂げていくこと、貢献していくことができればと考えています。

職員は業務で行っていくこととして、就労業務の確保や、安全保全、介護業務など様々なことを学んで実践して行かなければなりません。しかし、その業務の延長線で、職員と利用者とを区別して何か困った時の理由付けとして、「職員だから・・・」「利用者だから・・・」とかで物事を解決しようとしてしまうことがあります。あくまで支援者側の都合でしか判断しないで、利用者の方の意見や要望などは二の次になってしまっていることがあります。そんなことは誰も望んでいません。そもそも区別なく一人の人として接して欲しいのです。自らを尊重して欲しいのです。介護の対象や、支援の対象とだけでしか見ることのできない支援者はいらないのです。

地域の人とお祭り支援者が仕事としてやらなければならないことや、義務として守らなければならないことは確かにあります。支援する側、支援される側、それは社会的な関係・サービスの関係としてあります。支援としては必要な関係性です。しかしそれだけでは何もうまくいかないのは明白です。この関係性だけで終始してしまうことで、区別して相手ができることもできなくしてしまったり、要望も支援者の都合で押しつぶしてしまうことがあります。そうすると冒頭にあるように区別しないでほしいという訴えがでてくるのです。社会的な関係の構築の前に、人と人との心の関係があっての関係性だと思います。

私が後輩に伝えているよく使うキーワードとして「一緒に歩いていく」という言葉があります。誰でもやりたいこと、成し遂げたいことに障壁があれば、どうしても人の手を借りなければならない時があります。その時は一人の人として相手の状況を理解して、ふたりでもしくは仲間で一緒に乗り越えていくだけです。私は相手の代わりに物事を行うことはできません。一緒に課題を理解し、一緒に悩み、一緒に解決していき、一緒に結果に対して喜び・嘆き・楽しみ・悲しむことが、一緒に歩いていくことになります。互いの心と心が通い合っていないとこのように一緒に歩いていくことはできません。区別は、一緒に一人ひとりの物事を実現していくためには足かせでしかなりません。